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日進月望

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とし@人生の旅人

Author:とし@人生の旅人
とし@人生の旅人です。
面白いなぁと思った情報のshareや、日々感じた・考えたことなどをつらつらと書き連ねる中で、色んな想いを共有していけたらなぁと思います。
あ、ワークショップや交流会も定期的にやってるので、こちらもよろしくです。



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最近ふと思いついた、新たな言葉


仕事って誰かにやらされるもの?
人に課されるものだから。。。って、本当に?

そしてワーク・ライフ・バランスだとか、働き方改革だとか言われますが、
そんな2つに切り分けたり、大号令をかけないといけないことでしょうか?

かくいう自分も15連勤や18時間連続労働の環境で苦しんでいたことあるので、
社会や制度から大きく変わっていくことは必要だと思います。

しかしその一方で、一人一人の意識で変えられることも十二分にあるのでは?


今年、印象に残った言葉の1つ

~趣味と仕事~
趣味は、自分を喜ばせること・自分が好きなことをすること
仕事は、相手を喜ばせること・相手の望むことをすること


この定義に沿うのなら、
仕事と思ってしているけど、自分もめっちゃ好きで楽しい場合。

趣味だと思ってワクワクしてやってるけど、人にとっても喜んでもらえた場合。

果たしてこれらは仕事でしょうか、趣味でしょうか?


別にこれがどちらであるか?定義する事なんてどちらでも良くて、
いまこうして生きていられる時間は限られたものなのだから、
そのかけがえのないひと時を、自分も人もどちらも喜ぶ時間でいっぱいにしていく。

結果、世の中にワクワク楽しい時間や場所が増えていく。


趣味かつ仕事。

相手も、自分も喜ぶ 「趣・事」


ついついノってしまって、我を忘れて取り組んで、

取り組む主なこと、 「主・事」


そんなことを思ったら、
寒くなってきた外の気温に反して、
自分の温度の高まりを感じた。



自分が本当に心の底から楽しんでいることは?

人を喜ばせることができるほど、自分ができることは?

そして、それらのことを今の自分はどれだけ取り組んでいるだろうか?
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⑤/5 FP

少し長めの自己紹介、
最後はお金です。

ここ数年で大きくお金のとらえ方が変わりましたが、
今の自分のとらえ方、一言で言うなら、
 お金は「水」のようなものと考えています。

実は、ここ数年は会社で経理をしていますが、
お金のことはあまり得意でない...

どこか卑しいもののような気がしていたし、
お金のことばかり学んだり、考えたりするのって、
感覚的に何だか違和感があるなぁ、と思っていました。


が、ここ数年で...

・結婚して蓋を開けてみたら、奥さんよりも年収が低い>ω<
・経理の知識等を応用して、家計のお小遣いup術を伝授したら友人に喜ばれた

というきっかけがあり、一念発起、
この一年間だけ、真剣に集中してお金について学び/向き合ってみよう!


そう考えてFPの取得はじめ、色んな本を読んだり、足を運んで学んだりetc
してきました。

勝手な自分の決めつけで目を向けてこなかったり、
誤った考え方/判断でレッテルをつけてきてしまったことに気づかされました。



別にお金そのものは、取引などの橋渡し役をしているだけで、
それ自体に特別「良」・「悪」という色は基本的に付いていない。

それを、
どんな人が、
どんな考え方で、
どんなことに使うのか?

そちらに目を向けないといけないということに気づきました。




水の様とたとえたのは、


現代の資本主義社会の中で、お金がなくては生きていくのは難しいでしょう。
水がなければ、生命を維持していくのが難しいように。

一方でお金持ちになりたい!と欲にまみれてそれを目指しても、溺れてしまうだけ。
過剰なコントロール不能な水は、人間を襲い、溺れさせてしまうように。


そしていたずらに貯めこむだけでも、
それは滞った水に、藻が生えたりして澱んでいくように、
健全ではない。

はじめは小川のような小さな流れでも良いから、
あるべき、必要とされているところに流していく。
いつか、他の流れとも合流して川や運河になり、
それによって人や物を運んだり、新たな価値を生むのかもしれない。


そんな、バランスと方向性と流れがお金の本質じゃないかな?
ふと感じて、
相談を受けた人には、まず日々のお小遣いup(コレ大事♪)を企てた後に、
上の流れのような話をお伝えするようにしています。

そして一年学んでみて不思議なことが起きました。
めっちゃ詳しく、更に深堀をしていくかと思いきや、
真逆の、手放すということが起きました。

家計や、人生設計をする時間を最小化する。
ニュースや新聞も読む時間を最小化する。
ポイントだけ押さえれば、別に前みたいな時間はいらない。

それよりも限られた時間で、
自分が本当にしたいことをしたり、
一緒に過ごしたい人とともに過ごしたり、
それらを楽しむということこそが大切。


お金はあくまで数ある手段の一つ。
そこにとらわれる時間や意識を少しでも少なく。

楽しむ時間を最大限に♪

自分自身の実現はもちろん、
周りでも実現できる人を一人でも増やすべく、
FPの資格取得は精進して参ります(^_^)ノ

④/5 DANCE

少し長めの自己紹介
折り返しも過ぎ4日目はdance

時にdanceに関することを話したり、
SNSに上げたりしていると、違和感を持つ方が多いようです。
そもそも人見知りやし、運動とかしているイメージ無いと言われ(^^;)

が、実は学生時代はdance大好き
MichaelJackson、DA PUMPに影響を受けて、
danceかじっていました。

対して英語の教科書覚えないのに、
マイケルの曲と歌詞が体に染み着いたり、
歌うのも動くのも得意じゃないのに、
DA PUMP真似してみたりetc

踊ったこと無いどころか、
寧ろ腕立て伏せを一回模できないようななよなよな私が
danceをするために、気合いで運動するようになる。
結果、踊れるようになった上に、
体育でも3以上通信簿でもらえるようになったのは、今は昔の話。

僕が尊敬するダンサーが言っていたこと。
「dance今まで出来なかった動きを、出来るようにするリハビリ」
「踊れる人種が、世界を救う」
まさにこの二言に尽きると自分は思っています。

踊るときに”ダンス”でなく、英語のdanceをあてるのは、
いわゆる踊りだけなく、躍りの意味もそこに込めたいから。

何かの動きがあって、そこに音楽をかければdanceになるのはもちろん、
生きているだけで呼吸や、心臓の鼓動というbeatはあるから、すでにこれ自身がdanceなのかもしれない。

格好良く踊ることも一種のdanceだけれど、
日本にかつてからあるように、盆踊りとか、
更には言語体系が生まれる前から壁画の時代からdanceはあった。

昨年、コミュニティdanceという概念を知って、
ますますdanceに対する価値観が変わったのですが、
格好いい・面白い動きや、音楽を持っている人や国のことを、
嫌いにはなれない。

というか動きや音楽に言語はいらないから、
全世界共通語だと思う。
日本語はもちろん、中国語や英語はしかり。

そして動くことや音ということまでdanceという概念を拡張するのであれば、
世界中に、踊らない人はいない。

danceとか表現が嫌いな人がいれば、
それは踊る経験が余りになかったのか、
それを美しい表現として解釈・演出する人がいなかったことによると思います。

今やメジャーシーンから退いてしまったダンサーの方が言っていた言葉、

「やりてぇことがある
じぶんでやって
人に評価される。
それが当たり前なんじゃねぇの?」

やりたいことを切り出すとき、人前に出て行くときに躊躇してしまうときに、
常に自分の背中を押してくれる大切な言葉。


自分が好きなら、全力でそれをやればいいし、
その上で、人がどのように見るかの評価は最大限に受け止めればいい。
批判されるならそれが現状だし、
それを上回る作り込みや、練習をすればいい。

僕は不器用でも、色んな人が一堂に会して、
一緒にからだを動かす。
それをお互いに楽しみ合う♪

そんな場をつくっていきたいな、と夢見ています(o^^o)

③/5 わーくしょっぷ

5連続で書いていく少し長めの自己紹介
ここまでおつき合いいただいている方、
本当にありがとうございます。

お世辞にも上手いとはいえ無い文章ですが、
思うままに筆を進める中で、自分のことを整理しています。


わーくしょっぷ。
気づけば出逢って10年以上のこの言葉、
いまや自分の根幹を占めています。

結局色んな定義があるので、
上手く表現できませんが...
「お互いのこと思いを馳せ、尊重する。
自分のことも相手のことも最大限に大切にする。」
これがわーくしょっぷだと自分は思っています。


いわゆる机で自分の夢を考えてみたり、
ブレインストーミングの様に付箋に書きまくるワーク。
頭を使って、意識が高いことをやっている印象を受けながら、
自分の心は対して動きませんでした。

しかし数年前に出会った演劇ワークショップの衝撃は今でも忘れません。
「だるま」さんがころんだ。だるまの部分の言葉変えて、
色んなものが転ぶ。その主体を変えて色んなものが転ぶ。
それを全身で表現する子どもたちそそてそれを全力でいじりに行く進行役。

自分の辞書には今まで全くなかった行動。
そして進行役のことや、行われているプログラム以上に驚きだったのが、
子供たちの様子。
動画で見ていたのですが、今まで見たことがないほどに、
イキイキとしている子どもたち。

これは何が起きているのか?と飛び込み早5年ほど経つのが、今ですが、
やはり身体を伴って現在生きているのが私たち人間という生き物。

頭だけを動かして良いアイデアをひねり出そうとしたり、
机に張り付いてばかりいて良い生き方をしたいというのが、
無理難題なんじゃないか?

この体動かしたり、
価値観やバックグランドが違う人たちと出逢い・関わる中で、
色んな影響を受けながら生きていくのが自然じゃないか?

そのためには、岩湯学校の中ではやらなかったようなことをしたり、
日常生活でしないようなワクワクする、ときに面倒くさいような人間臭いこと一緒にしたり...

自分は、人間らしく生きて行くには、
そうしたことが必要だなぁ思い関わり続けながら生きています。

別に現代社会のシステム全てを否定する気はないけれど、
他の選択肢や、いわゆるフツーとは異なることに対して、
社会のゆとりやひとりひとりの心の遊びみたいな隙間が有って良いと思う。

たった一つのデキル・デキナイなんてものさしにはまるでなく、
○○のこれはめっちゃ面白い!
そして△△のあれ面白いよね♪

そうして他面的に、
一人一人や一つ一つのことをあと一センチずつでもみんなが大切に出来たら世の中は変わると思う。笑いながら一つのゲームを一緒に体を動かしてやったり、
一つの表現を一緒に作り始めたら、
そこには争いどころか、相手に心底腹を立ててしまう暇はなくなると思う。


ふと熱いものが自分の中にこみ上げるとともに、
わーくしょっぷ習った師匠が言っていた、
世界平和や、安定を常に崩し続ける。
そんな言葉が僕の脳裏に蘇り響き続けている。

②/5 カメラ

少し長めの自己紹介を5日連続で、
毎日違うキーワードをもとにしてつづっています。
2日目のキーワードはカメラです。


趣味としてだけでなく、
お陰様でカメラマンとしての依頼を頂いて久しいです。

写真を撮らせていただくという行為は、
「その人・ものの魅力を最大限に引き出した表紙・パッケージをつくるお手伝い」
だと自分は考えています。


買い物をしていて、ふと一目惚れをして手に取ってしまう商品は無いでしょうか?
ものも情報も溢れる現代、どんなに素敵なものでも目に留まる表紙がないと埋もれてしまう。

凄く良いものなのに、なんで注目されていないんだろう?
その一方で中身はイマイチだなぁと思うのに、見せ方が上手で、
うまく人目を引き付けているもの、それに違和感が募っていきました。


自分の周囲に素敵な特技や仕事をしているのに、
それがあまり人に知られていなかったり、
とっても素敵な表情をしているのに、
SNSの画像は「?」というものを使っていることを目にしたり...

ふと口にした料理が、あまり知られていないのに美味しかったり、
足を運んでみた特段名前のない場所のふとした光景に息を飲んだり。

そんな日常の中に、雑多な情報の中に埋もれてしまっている、
キラリと輝く人・ものを自分自身もっと出逢って、大切にしていきたいし、
それらが人の目に触れるお手伝いをしたいと強く思うようになりました。


そんな自分の撮影時のスタンス、
自分は空気だと思って、ありのままの姿でその場にいてください。というスタンス。
撮影をするときも、いきなりスタジオに入って撮るよ~でなく、

ーまったりおしゃべりー
まずは最近のことや、普段している活動、
趣味や、将来やっていきたいこととかのイメージなど、
ワクワクしてやっていることなどを聴かせてもらって、
お気に入りのカフェや散歩コースの公園など、
その人の好きな場所で、好きな服装で撮影。

ーありのままの、あなたでー
笑顔やポーズをつくってもらうでなく、
歩いてもらったり、そのまま会話を続けたりしながら、
そのままの姿で何枚か撮らせていただいて、
そのまま加工はあまりせずに、現場でお渡しするようにしています。
(photoshopもありますが、
加工してしまうより、そのままの方がその人らしく素敵だと思うので。
無加工でも、コレが良いと言ってもらえる写真を撮っています)


カメラマンだからと、
撮るプロだ!っていうよりは、
その場にいるまるで空気のように、黒子の極みになって、
素敵な瞬間に一緒に出逢わせてもらう。


昨日の料理のイメージを借りて言うなら、
調味料を使わずに、いまある食材でベストの料理つくる。
素材の味を引き出すお手伝いをさせていただくイメージ。


より自分らしく活動する人、
今まで知られていなかった隠れた良いもの、
もっと世の中に広がるお手伝いをしていきたいな♪

そのためには、
そのものの魅力をより引き出す。
それを確実に写真に収める。
更に精進して参ります。

①/5 食

ひさしぶりのブログ

自分を象徴する5つのキーワードについて書いていこうと思います。
最近知り合った方、今までつながってきてくれた方に自分何者か知っていただくとともに、
自分自身でも整理をしようと、筆を取ります。

1回目は、食

細いね、と最近でこそ言われますが、
めちゃめちゃ食べるので、
気を抜いたらすぐにズボンがはけなくなります。

何でこんなに食べるのが好きかと言ったら、自分の価値観
「美味しいものを食べていれば、基本的に幸せ」

超単純ですが、一つの心理だと信じています。
美味しいものを食べているときに、全力で怒る気なんて起きないし、
美味しい料理をつくる人や、発祥の国はそれだけで好意を抱いてしまう。


小さい頃思いを馳せてみれば、
3歳で5号のホールケーキを一人で間食した「とし伝説」が...
結婚式の写真を探す中で、親族満場一致でこの歴史的一枚を持ってきて、
既に記憶になかった私は、我がことながら唖然としましたが...

常に、おいしいもの、安全なものを食べさせて貰っていました。

正月には、おせちやお餅を家でつくるし、
夏のそうめんはめんつゆもダシからつくるし、
(幼心には、キーンと冷えていない、生ぬるいこのつゆに文句言っていました)
季節の魚を生きたまま買ってきて、ばぁちゃんが面倒臭いとじぃちゃんに文句言いつつ捌いてくれたりetc

だから物心付いたときから、
外食よりもおうちのご飯の方が美味しいと信じていましたし、
3つ子の魂100まで。いまだにその新年は揺らぎません。


結局、口にして命を頂いたものを消化して、
自分の体になっていくので、
ちゃんと土や海から育ったものを、真心込めて調理したものを食べる。
それが自分の体をつくっている。
そんな状態であれば、変な病気や、いきなりキレるとかしないと思う。

年に一回も病院に行かないことってフツーかと思っていたら、
一般的には数ヶ月ごとに体調不良で病院にかかるものなんですね(^^;)
そんな感覚を持てないほどに健康でいられるのは、
ずっと手料理を食べさせてくれた親たちのおかげだなぁ最近しみじみ感じます。

ばぁちゃんも、お母さんも専業主婦だったので、
決して金銭的に贅沢な暮らしをしてきたわけでなく、
飛行機だって大人になってようやく乗れた自分。

でも手料理を小さい頃からずーっと食べさせてくれたことは、
なにものにも変えられない掛け替えのない「ぜいたく」だったと今は思います。


見た目をよくしたり、日持ちをよくするために、
薬品漬けになってしまっている様々な食品を見ると悲しくなります...

命を捧げて精肉にされた後まで、注射されたり、
よくわからない薬品に漬けられたり...

命を「いただきます」しているだけで申し訳なくなるのに、
その上に、そんな残酷な仕打ちをすべきでないと思う。

いのち・かたちあるものはいつか尽きていくのが自然の摂理なら、
不便とかでなく、その流れに沿うべき。
いただく命に対して、より敬意を払うべき。

だから料理が好きなのは、
つくるのが楽しいのは、
一つ一つの食材に手や心をかけると、
一つ一つの味を引き出して、それが合間って、美味しい料理に変身するから。

そしてそれを食べる人もニコニコ・ワクワク、
思わず笑みがこぼれて明日への活力に繋がるから☆


ずっと安心安全、そして美味しいものを、
家族で食べ続けていきたい!

あわよくば、定期的に有名店には一緒に行って舌が肥えた状態で、
やっぱりパパのご飯が一番♪
と言わせるのが野望です(o^^o)


ふと、5年前に他界してしまった、
ばぁちゃんがたらふく料理をつくってくれた後に、
 「今日もごっつぉうだが!!」(今日もご馳走だな)
と言っていたのが、ふと蘇る。

我が家のごはんはいちばん♪
そんな風に信じている人が、1人でも増えたらいいな(o^^o)